スポンサードリンク


【書評・ブックレビュー】 『トロッコ』 芥川龍之介

塵労につかれた彼の前には今でもやはりその時のように、薄暗い藪や坂のある道が細細と一すじ断続している。

 フランスの哲学者ジャネーによれば、「主観的に記憶される年月の長さは、年齢の逆数に比例する」という。子供のころの2週間ほどの体験は、当時の色彩が失われてもなお、その後の生涯において象徴的な意味を持つことがある。色が失われても、感情は残る。明確な引き金もなくふと思い出されるその記憶は、「今」と「これから」を暗示しているのかもしれない。

続きを読む

BOOK+ について

BOOK+ では、日々の生活の中にあると執筆やライティング使えるおすすめの文房具や便利なガジェットなど、様々なアイテムを紹介していきます。

おすすめのアイテムは、こちらでも販売しています。

【書評・ブックレビュー】 『きつねのはなし』 森見登美彦

この夏、死に向かって歩みながら、祖父は何を飲み続けたか。水だ。

 人は通常、相手を理解しようとするときには、その人の行動や言動の端々にその人の人物像を見出そうとする。そうして積み上げられたイメージは、見る人の想像力の範囲において無限に拡大されていく。人が他人を理解したいという衝動は、人が安心を求めているからなのかもしれない。そうして得た束の間の安心の中にその相手が別の表情を覗かせた瞬間に、 続きを読む

【書評・ブックレビュー】 『刺青』 谷崎潤一郎

其れはまだ人々が「愚」と云う貴い徳を持って居て、世の中が今のように激しく軋み合わない時分であった。

 いつの世も、いにしえの世に憧れを抱いている。より健康で、より賢明で、よりも寛容な、失われた人間本来の有様が、そこにはあった・・・・・・。実際、そんな理想郷はいつの時代にも存在しなかったが、それでいて、いつの時代にも戻るべき場所として求められ続けた。

 しかし、そこで我々が失った(とされる)ものは「健」「賢」「寛」ばかりではない。 続きを読む

【書評・ブックレビュー】 『藪の中』 芥川龍之介

おれは中有に迷っていても、妻の返事を思い出すごとに、瞋恚に燃えなかったためしはない。

 物語は、一つの側面からのみ語られるからこそその切実さが際立つが、別の視点から語られることでまったく別の様相を呈する場合もある。起こった出来事はただ一つであるが、そのただ一つの事実が意味するものはそこに関わった人の数だけあり、また、同じ数だけ物語も存在する。こうやって事実は、個人のフィルターを通して歪曲していき、やがて、その歪曲された物語が事実となっていく。たとえそれが本当の事実とは違っていようとも。 

続きを読む

【書評・ブックレビュー】 『すみれの君』 アルフレート・ポルガー(『ウィーン世紀末文学選』『心にのこった話』所収)

貴族には果たすべき義務があるのです。たとえこの悲しむべき共和国には見捨てられた種族だとしてもーー

 ノブレス・オブリージュ(noblesse oblige)。フランス語で「高貴さは強制する」、すなわち、高貴な者は相応の振る舞いを強いられるということを示す文句である。彼らは好き好んで気取っているのではない。自らの高貴さによって、高貴な振る舞いを「強いられている」のだ。そして、世の中から高貴さが失われゆく時にこそ、この規範に従った振る舞いが最も鮮烈に輝くという事実は、何とも皮肉なものと言えるだろう。

続きを読む

【書評・ブックレビュー】 『今日の経験ーー阻む力の中にあって』 藤田省三(『全体主義の時代経験』所収)

私たちは経験の消滅という「最後の経験」を生きつつあるのだから。

 苦難の経験、未知との遭遇こそが、本当に人を成長させる。あまりにも言い古された言葉ではある。しかし、その経験が人に取り返しのつかない痛みを与えるものであったら・・・・・・。実は、それこそが本来の意味での経験である。では、その本来の意味での経験が、最後の最後まで予測し尽くされ、徹底的に排除し尽くされて、ありとあらゆる経験が我々の人生から失われてしまったら・・・・・・。

続きを読む

スポンサードリンク