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【書評・ブックレビュー】 『点鬼簿』 芥川龍之介

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僕は墓参りを好んではいない。若もし忘れていられるとすれば、僕の両親や姉のことも忘れていたいと思っている。が、特にその日だけは肉体的に弱っていたせいか、春先の午後の日の光の中に黒ずんだ石塔を眺めながら、一体彼等三人の中では誰が幸福だったろうと考えたりした。

 「絆」という字が元々ポジティブな意味を持つわけではないが、「家族の絆」も必ずしも常に良い形でアウトプットされるわけではない。目には見えず、言葉では表せない、背後に通っている切っても切れない綱が、時には「きずな」となり、時には「ほだし」にもなる。 あるときをさかいに人が変わってしまったり、状況が一変してしまったりすることはあるが、複雑過ぎる現実の中では、その原因と結果が必ずしも一致するわけではない。 芥川龍之介と、彼を尊敬していた太宰治は、ともに、家族に翻弄されていく運命をたどった。実際のところはよくわからないが、少なくとも小説の上では、彼らの運命はその点でよく似ていたのかもしれない。 

 

芥川龍之介の貴重な告白

 芥川龍之介の後期の作品の一つである『点鬼簿』。「点鬼簿」とは「過去帳」とも呼ばれ、死者の姓名を書き記したノートのことを言う。この物語は、全四段で構成されていて、それぞれ「僕の生母」「夭折した姉の初ちゃん」「僕の父」「三人の墓参りをする僕」の内容となっている。彼が自殺を考え始めた晩年に、自分の人生の中にあった「死」という出来事を確認するかのように、家族の死を回想し、告白していく。 室生犀星に宛てた書簡の中で、「点鬼簿」について芥川龍之介自身が、「やっと小説らしいものを一つ書いた」と記したように、彼自身にしか語りえず、彼の「告白」なしでは永久に存在することはなかったであろう物語を、ようやく書くことができたのかもしれない。 芥川龍之介のことを心から敬愛していた太宰治が自殺の直前まで連載していた小説『人間失格』は、芥川龍之介の『点鬼簿』のオマージュであると読むこともできそうである。

父親の影

太宰治の『人間失格』には多くの名文があるが、あの小説の本質は、「あとがき」でスタンド・バアのマダムがふとつぶやいた一言にあるように思う。 「あのひとのお父さんが悪いのですよ。」 物語中にもほとんど登場することのない主人公の父親が、彼の「恥の多い生涯」の根源であったかのようなセリフを、第三者にボソッとつぶやかせるためだけに「はじがき」と「あとがき」を置いたような構成には、言い知れぬ恐怖を覚える。本編の最後が「喜劇」として滑稽に描かれていただけに、彼の人生を翻弄したかもしれない父親の存在感は余計に際立つ。

 『点鬼簿』では、第三弾と第四弾で父の話がされているが、母と姉に対しての愛情とは異なり、父に対しては冷淡であった。父は何度か「僕」を養家から取り戻そうとしたが、「僕」は養家の父母(特に伯母)を愛していたという理由で断っている。「僕」が父親を憎んでいたという描写はまったくないが、おそらく、「僕」は父を愛せなかったのかもしれない。

 「唯僕の父だけは、― 僕は僕の父の骨が白じらと細かに砕けた中に金歯の交っていたのを覚えている。………」

 父は死してもなお、「僕」を連れ戻そうとしているのかもしれない。

 結局は、家族が皆、同じ墓に入ることになるのだと。

 

「家族」という運命

 「かげろふや塚より外に住むばかり」

松尾芭蕉の弟子であり、蕉門十哲の一人である内藤丈草の一句が、最後に引用されている。

 この句は、「羽化してから数時間しか生きられないカゲロウのように生は儚く、自分はただ一時だけ墓(塚)の外に住んでいるに過ぎない」という意味である。

 今でもしっかりと命日を覚えている母と初ちゃんへの愛と、父親に対する冷淡さが同居している墓には、彼等三人の骨が埋められている。その墓前で、「一体彼等三人の誰が幸福だったろう」などと「僕」は思いを巡らせている。

 小さい成功者であった父、丁度僕の生まれる前に夭折した姉、母が発狂したために生まれたときに養家に行った「僕」。その裏には、描かれていない多くの憶測があるが、それは大きな運命の流れとして見れば、瑣末なことのように思える。

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