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【書評・ブックレビュー】 『存在しない小説』 いとうせいこう

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そうさ、お前はこの声だけを信じていればいいんだよ。かわいいリカルド。

 「その人が何を言ったか」よりも「誰がそれを言ったか」の方が重要である場合があるように、言葉の信憑性を決めるのはそれを受け取った人である。語られた物語や書かれた言葉が真実であるかどうかよりも、それを聞いた人が真実であると信じれるかどうかが大切になる場合もある。言葉には、その言葉の本来の意味から離されたときに初めて持つ意味もある。それと同様に「語られなかった言葉」も無数に存在し、作家や翻訳家の手によってその世界が引き出されるのを待っている。

 

『存在しない小説』という存在する小説

 いとうせいこう著の『存在しない小説』は、世界中の存在しない6人の小説家による存在しない小説を翻訳した短編集である。各小説を日本語に翻訳した翻訳家も存在せず、各短編には編者解説が書かれている。各短編小説はそれぞれが独立した物語になっていて、様々な ”元の文体から翻訳された” 文体で描かれる物語はどれも独特の世界観を持っていて引き込まれ、”小説” の面白さが存分に味わえる。各短編はもちろんのこと、編者解説だけを読むだけでも、小説とはどういうものなのかということを考えさせられる内容となっている。

 

「存在しない小説」のパラドックス

 作家も翻訳家も存在していないという「存在しない小説」は実際に存在していない。しかし、「存在しない小説」が実際に引き出され、読まれれば、それは存在してしまう。これが「存在していない小説」のパラドックスであるが、「存在しない小説」を誰かが書き表せば、それは、”元のテクストを予め失ったまま、仮にひとつの翻訳のバリエーションとしてだけ宇宙に存在する” という意味を持つようになる。「存在しない小説」が存在するためには、元の言葉の持ち主からそれが離れ、翻訳家の手によって引きずりだされたときであるから、それはつまり、「解釈が多次元の世界を作り上げ、それは同時に存在する」ということになる。 矛盾を前提とする世界においては、すべてのありえないことが導き出される。

 

”生きるということは別人になるということだ” by フェルナンド・ペソア

 ポルトガルの詩人、フェルナンド・ペソアは「異名(エテロニモ)」と呼ぶ70~80もの別人格を使い、それぞれが詩的志向性の異なる作品を創り、それぞれの人格と交流していたとされている。 作品の冒頭には、ペソアの「神は一なる存在ではない。どうして、私が一つでありえようか。」というフレーズが引用されている。この小説ではすべての登場人物が異名である。解説を書いている管啓次郎によると、フランス語の代名詞 “personne” という言葉は、ラテン語の “persona(仮面、人格)” を語源とし、「誰もいない」という否定的な意味を持つ言葉でもあるという。誰でもない複数の人々はまさにエテロニモである。また、ペソアに魅了されたイタリアの作家アントニオ・タブッキの短編集「夢の中の夢」のオマージュのようでもある。夢野久作の「少女地獄」という作品に「何でも無い」という短編があるのを思い出した。

 

 

 いとうせいこうが示したのは、単に小説の解釈の自由さではなく、「小説を読むという行為の可能性」であり、読まれることによって初めて「存在しない小説」は存在し得る、ということであるように思う。 第四回の短編の「能楽堂まで」という短編の中のこのフレーズは、辛辣に響く。 「物語はそれでいいだろう。あれこれと他人を振り回し、そうやって終わってしまえば。」 そして、これも、小説の中のひとつのフレーズに過ぎない。

 

揺らぐ「存在」の意味

 夢は、醒めなければ誰が見ていた夢なのかはわからない。夢を見ている人にとっては一旦醒めてしまえば、その物語は閉じられ、夢が映し出していた光は消える。そうして初めて、夢は、それが夢であったのだと認識されることになる。 あるものが存在するかしないかは、それそのものの有り様で、それそのものの意味ではない。そして、その存在が他者によって意味付けされた途端に、それそのものの意味は身を潜める。 一旦ページをめくれば、意味の世界は消滅し、解釈の世界が顕れる。本を閉じれば、それは何でもなくなり、意味の世界がそこに存在するだである。 信じれる声の語ることが聞こえているうちは、その内容はまぎれもなくそれを聞く者にとって一つの真実である。それと同時に、それを書き表せばそれは解釈されなければならないし、別の者にとっては、また別の真実がある。そして、それと同時に誰にも聞かれることのない声も存在する。物語は、そういうところから生まれるのであると思う。

 

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