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【書評・ブックレビュー】 『今日の経験ーー阻む力の中にあって』 藤田省三(『全体主義の時代経験』所収)

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私たちは経験の消滅という「最後の経験」を生きつつあるのだから。

 苦難の経験、未知との遭遇こそが、本当に人を成長させる。あまりにも言い古された言葉ではある。しかし、その経験が人に取り返しのつかない痛みを与えるものであったら・・・・・・。実は、それこそが本来の意味での経験である。では、その本来の意味での経験が、最後の最後まで予測し尽くされ、徹底的に排除し尽くされて、ありとあらゆる経験が我々の人生から失われてしまったら・・・・・・。

経験の消滅

 思想史家・藤田省三による、1982年のエッセイである。藤田は大著『精神史的考察』の出版後、一度は筆を置いていたが、再び書かねばならぬとの思いに駆られ、1995年に『全体主義の時代経験』を上梓した。その時、本作も再録されている。

 今日の社会では、人生の全ての段階が保育器によって包摂されており、各人は物事と自由に出会うことが阻まれ、予想外の物事との遭遇は徹底して避けられるというのが、筆者の基本的な現状認識である。こうして徹底的に経験が避けられ「安楽への自発的隷属」が一般的になるにつれ、精神の成長は阻害される。しかし、問題はそれだけに留まらない。苦難の経験とともに、それを受け止める精神の自由も、敗北や失敗を受け止めて進む歴史の意識も、これに伴って消滅する。我々はまさに、経験の消滅という最後の経験を生きている、というわけである。

 

精神の自由と歴史の意識

 本作は、「若い時分の苦労は買ってでもせよ」などという、ありふれた説教ではない。確かに、世の人は常に苦難を予測し、これを避けながら安楽に生きるべく努力をしてきた。しなくても良い苦役を我が身に課すことが経験というならば、それは経験のための経験に過ぎず、精神の成長にはつながらない。しかし、単に苦痛を避けたいと願うことと、苦痛をもたらす(かもしれない)原因さえ先回りして根絶したいと願うことは、大きく異なる。このことは、同じ『全体主義の時代経験』に収められた別のエッセイ、「『安楽』への全体主義」で強調されている。また別に論ずる機会もあるだろう。

 さらに、本作自体の内容を注意深く見ていくと、「安楽への自発的隷属」の帰結は個人の精神の未成熟に留まらないことが理解される。それが打撃を与えるのは、精神の自由と歴史の意識である。

 人生の各段階を学校や会社という保育器の中で過ごし、その中でのルールに従っていれば生活が保障される。筆者の述べるこうした現状の中では、自身の価値観・世界観は、常に保育器の中で一定に保たれる。個人はその中での自己確認だけを保持していけば良い。他の可能性という余計なことを考えずにすむ点、自分の手持ちの自己意識が脅かされずにすむ点では、確かに安楽ではある。だから人々は、自発的にこの安楽に従おうとする。しかし、それは同時に精神にとっては決定的な不自由であるはずだ。人々は、この不自由ということすら、自ら望んでしまっているのである。

 続いて、本書を独特のものにしているのは、歴史への意識の消失という指摘である。苦難への予測の精度が高まり、苦難を与えるかもしれない事物を事前に除去する技術が高度化するほど、歴史は動かなくなる。自分自身とそれを覆っている保育器の価値観・世界観が圧倒的に強く正しければ、その修正を迫るような敗北や失敗は決して起こりえない。しかし、歴史の教えるところでは、人々は常に意図と結果の食い違いという敗北・失敗を通して、絶えず始めに立ち返り、価値観・世界観を更新してきた。これからも、そうしたことが生じえないという保証など何一つない。

 以上に見てきたように、本書が批判の対象とする「安楽」とは、単に肉体的・精神的な快楽を意味するのではない。それはナルシシズム、すなわち、自分自身の価値観・世界観を脅かしうる他者を全く感知せず、その偏狭な価値観・世界観の中での自己確認を保ちながら暮らしたいという心性である。対処するのでも無視するのでもなく、自らを脅かしてくる事物そのものの消滅を願うことである。

 今日の日本社会では、筆者が「保育器」と名付けた学校や会社、さらには国家の確かささえも、随所で揺らぎ始めている。その動きに従って、保育器への熱烈な忠誠と献身的応援が見られるのは、まさに筆者の予想通りである。経験の消滅していく今日にあってなおも経験を求めようとする動きに対し、それを全力で否定しようとする勢力の異様なまでの大きさは何であろうか。

 しかし、筆者の予測するところでは、その勢力がいかに大きくとも強くはない。自由な経験を希求する者たちが強固に動かざる点となれば、それによってかえって多数派を動かすものとなりうるとのことだ。そして、その時にこそ、歴史は再び動き出すのであろう。

 

 

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